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糖尿病の歴史(1)紀元前から知られていた

紀元前から認識されていた

 

糖尿病はどれくらい前から知られている病気なのでしょうか。

 

古代エジプトやギリシャ、中国の文献には、紀元前15世紀くらいから「のどが異常に乾いて水を多量に飲み、やせ衰えていく病気」として記録されています。

 

糖尿病は、正式名称を「diabetes mellitus」といいますが、diabetesはギリシャ語で「サイフォン」を意味し、サイフォンのように水を飲むという意味で、多飲多尿を表す言葉です。そしてmellitusは同じくギリシャ語で「甘い」という意味で、糖尿病患者の尿が甘いことを表します。英語では正式名称から略して単にdiabetes(ダイアビティーズ)といいます。

 

実際に糖尿病患者の尿が甘いことはインドの医師が実際に飲んで確かめた、という話も伝わっています。

 

紀元ごろの中国では糖尿病のことを「消渇(しょうかつ)」と読んでいました。やはりのどが乾くことが特徴となる病気であることが認識されていました。

 

現在では中国語でも日本語と同じく、発音は違いますが「糖尿病」と言います。

 

このように糖尿病については古代からその存在が認識されていましたが、実際に原因と治療法が確立されるようになったのは20世紀に入ってからのことです。

 

日本でも意外と古くから

 

日本の歴史文献を紐解いてみると、明らかに糖尿病を患っていたのではないか、と思われる歴史上の人物が幾人もいます。

 

そのなかで糖尿病にかかっていたことをうかがわせる最古の歴史上の人物は「藤原道長」です。

 

藤原道長といえば、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ、藤原家の栄華の最盛期を誇った平安時代の権力者です。

 

道長の日記である「御堂関白記」やその側近の藤原実資の『小右記』には道長が糖尿病を患っていたことを伺わせる記述があります。

 

急激にやせ細り、水をよく飲むようになった、そして50代になると視力が衰えて目の前の人物の顔の判別もできなくなったと書かれており、糖尿病の合併症であると思われます。

 

道長は叔父や兄、甥、孫も糖尿病の合併症と思われる病気で亡くなっているため、「糖尿病家系」であった可能性があります。

 

平安時代の生活スタイル

 

道長の時代の平安時代の貴族は、食事は見た目に豪勢でしたが、保存料としての塩分が多く、ご飯中心の炭水化物が多い食事でした。

 

当時は酒の醸造技術がまだ未熟で、米麹がアルコールになりきれずに酒はかなり甘く、糖分を含んでいたそうです。

 

運動は・・武士ではなく、貴族ですので運動はさほどしていなかったでしょう。蹴鞠くらいはやっていたと思いますが、身の回りのことも自分で何もせず家臣や従者、侍女たちにさせていましたので運動不足でした。

 

しかもライバルとの権力争いも絶えず、ストレスの多い毎日でした。それに連夜宴会をしていました。

 

このように考えると現代の私たちにも共通する糖尿病にかかる要素が隠されていませんか?

 

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糖尿病の歴史(2)あの織田信長も